あなたは、相手に愛情を注ぎすぎて、
ふられた経験はありますか?
その反対に、相手の愛情を重く感じて
相手を突き放した経験はありますか?
今日は『愛し上手』『愛され上手』に
なるための、気づきのお話です。。。
そもそも、相手に愛情を注ぎすぎる方は、
『認めてほしい』『愛してほしい』という
欲求が、とても強いタイプなんですよね。
そんなタイプの方が、愛する人から
拒絶されると、反省をするより先に、
『認めてもらう事』『愛される事』に
意識が暴走してしまいます。
まるで、相手に認められないと、自分は
死んでしまうと思い込んでいるかのように
「何としても、相手に認めさせてやる!」
「何が何でも、相手に愛されてやる!」
…とばかりに、その目的を果たすためなら
手段を選ばない程、暴走が加速して、
相手に怖がられてしまいます(^-^;)
きっと皆さんの中には、
「自分は、相手に愛情を注ぎすぎる事は
ないけど、相手に愛情を注がれ過ぎて
鬱陶しくなって、別れた事がある。」
…という方も、おられるかも知れません。
追う側と追われる側。
真逆のタイプに思えるかも知れませんが、
実は同類だったりするんです(^-^;)
勿論、全員が全員、そうだとは言いません
が、例えばこんなケースがあります。
「今までは、相手にすがられる恋愛ばかり
して来たのに、今度の相手は全く逆で、
自分の方がすがってしまって、最近は
ストーカーみたいな事までしてしまい、
自分でも信じられません…」
…というご相談を、頂く事があります。
こういう方の場合、
同じニオイに惹かれた者同士が恋に落ち、
先に不安を感じた方が相手にすがり始め、
すがられた方は、『同族嫌悪』を感じて
極端に相手を避けてしまう。
そうなると避けられた方は、また相手に
すがっては突き放され、ますます泥沼に
はまり込んで行く。
…という図式が生まれます(^-^;)
どんなに、社会で体裁よく生きていても、
人一倍『認められたい』『愛されたい』
気持ちの強い方は、本性や弱さが更け出て
しまう恋愛をした途端、
たちまち、相手との距離の取り方が
分からくなって、相手の言動に少しでも
不安を感じると、そこで疑心暗鬼に陥って
思考が飛躍していき、相手がドン引きする
ような言動をやらかしてしまいます。
同族兼の場合、その反対も然りです。
もし、この内容を読まれて、少しでも
あなたにお心当たりがあるのでしたら、
あなたにとって、一番必要なのは、
いうまでもありませんが、
『自己肯定感』を高める事です。
…と言っても、
人の話を聞いたり読んだりしただけで、
そう簡単に『自己肯定感』が高まるわけも
ありませんので、実際に『自己肯定感』を
高めたい方は、別途でご相談頂くしか
ありませんが、
今ここで出来る一つの方法として、
イメージ療法をしたいと思います。
まず、
『自分』の立ち姿をイメージして下さい。
そして、『恋愛』を柔らかいグミか
ゼリーとしてイメージしてください。
そして次に、
『自分』と、その『恋愛』は、どんな風に
在る(繋がっている)かを見て下さい。
人によっては、
『自分』の全身が、すっぽり『恋愛』の
中に入っているかも知れませんし、
『自分』の心臓のあたりに、『恋愛』が
すっぽり収まっているかも知れません。
では、『自分』と『恋愛』が確認できたら
そのイメージを、こう変えてみて下さい。
まず、『自分』は、イメージの真ん中に
立っていいます。
そして、
利き手じゃない方の手で、『恋愛』を
お母さんが子供を片手だけでかかえる
ように、だっこしてください。
この時、決して同化させないで下さいね。
『自分』と『恋愛』は一心同体ではなく、
いつでも、聞き手が自由に使えるように。
どんな時でも、他の事ができる状態に
保っておいて下さい。
重ねて言いますが、決して、
『恋愛』をイメージの中心に置いたり、
自分の中に埋め込んだり、恋愛の中に
没入してしまわないようにね。
そのイメージを常に頭において、行動して
下さるだけでも、相手との距離を上手く
もつ事ができると思いますよ(^-^)
<編集後記>
久しぶりの編集後記です~(^-^)
私の体調を心配して下さるメールが絶えず
届きますので、この編集後記で、近況やら
思うところやらを、お伝えさせて頂こう
かな~と思いました(^-^)
まず、体調は変わらずです。
味覚障害、感覚障害(左側のしびれ)、
聴覚障害(耳鳴り・難聴)などは、
変わらずです。
…でも、耳鳴りと難聴は、めまいと同様、
随分なれたので、余程の騒音でない限り、
普通(?)の感覚になっていますので、
今が私のデフォルトの状態ですね。。。
いや~
人間に体って、うまく出来てますね。。。
1998年、椎間板ヘルニアを発症して
寝たきりになって、病床から出た以降も
6年間は、絶え間なく『こむら返り』の
ような激痛を味わい続けた時期があり、
あの頃に比べたら、今なんて極楽です(笑)
これは大げさでも何でもなく、人間って、
地獄の責め苦のような、絶え間ない激痛を
くぐり抜けたら、
それ以外の出来事は、
「これくらいで済んで、何と有難い!」
「本当にラッキーだわ!」と思ったり、
ふとした、何げない生活の一コマに、
「幸せ」を感じられるものなんですね。
だから、今までの人生の中で、
今が一番幸せな状態だと思います。
自分では意図せず、味覚や感覚や聴覚で
感じる事の出来る『楽しみ』が激減した
からこそ、心に『幸せ』を感じるなんて、
人間の心って、本当に不思議~~。